熊本(09年8月)


友を訪ねて

 過日、元の勤め先の同期生がいる熊本へ行くことにした。このトシになると、日々に起伏がなくて、三日前も三ヶ月前も何事も変わらない。変わらないのがいいという考えもあるが、なにかしら変化がある日常を送りたいとも思う。

 ダイヤを調べると、関空からの空の便はない。伊丹からなら三便あるけれど、伊丹は面倒。すこし時間がかっても、車窓から山陽道、九州路を眺めるのは悪くない。博多で乗り継いで4時間10分である。九州新幹線は鹿児島中央から新八代までしか完成していないから、博多からはリレー・ツバメというのに乗り継ぐ。 新幹線に乗るのは、ひさしぶり。                                                                               

 以前は広島まで何度も往復したものだ。「 のぞみ」で、岡山、広島、小倉まで3時間足らず。朝早いのに、うれしい解放感からキオスクで缶ビールを買い、ホームのベンチで飲む、うまいね。業務で出張するサラリーマン諸兄にはできない芸当である。

 秋の気配、稲田の青い広がりを車窓から眺めていたら、なぜか涙がいっとき出たね。昼すぎ熊本駅着。15年ぶりにあう友人はすぐ分かった。分からないかもしれないので、リュックに野球帽姿と伝えてあったが、余計な心配だった。15年の時空の溝を一気に飛び越えて、やーやーの。ご対面。

 車で迎えにきてくれていた。県庁所在地に駅前駐車場の駐車料金が100円と聞いて、びっくり。市内どこでも、その程度の料金が相場を聴いて、遠くに来たもんだと妙な実感を覚えた。

 その前に駅ビルで昼食にした。熊本名物の太平燕(タイピーエン)を食べようとしたが、満員で待たねばならないので見送り。これは熊本にしかない、熊本発の中華料理とか。見た目は五目そばだが、麺ではなくて春雨スープという。

孫娘にご当地のキテイちゃんケータイストラップを買ってきてくれと頼まれたいたので、忘れないうちに駅売店に行くと、ありましたね。太平燕の丼に乗ったキテイちゃんのストラップが、、。まずはゲット、ゲット。

 車で熊本市内をナビでぐるぐる回り回って熊本城へ。じつは友人は熊本北部の山村に定年退職後に田舎暮らしを希望して移住した人なので、市内の地理にまだ精通していない。熊本城も初めてと言っていた。地元のもんが、地元をしらないtということは、よくあるもんだから、なんの違和感もない。

 熊本城へ

 熊本城は予想外に大きい。地元の人は名古屋、姫路、大阪城と並んで日本三大名城と言っているらしい。三大なのに、四つあるのがおかしい。時々によって姫路と大阪城を引っ込めているらしい。郷土自慢というのは、面白くて、よそ目には滑稽なものであることもある。

 城近くの二の丸駐車場を探すが、なかなかアクセスがわからない。それほど周辺は広い。そばに天守閣を仰ぐのだが、近づけず、けっきょくグルグル回って、三の丸駐車場に止めて、しばらく巨木の並ぶ、石塀が続く時代劇にありそうな道を歩く。

 熊本城は昨年だか、加藤清正築城400年を迎えるとあって、そうとう早くから復元工事に力を注いできた。寄金を求める一口城主を募り、その金で本丸御殿などを再興したという。この御殿は54億円かかったというから、ハンパではない。

 六層の白壁と黒塗りの屋根が夏空に美しい。韓国語を話す団体さんも大勢だ。近いせいか、昨今は韓国、中国の富裕層の団体観光客が多い。秀吉の朝鮮半島侵略は、いまもって意図が不明といわれているが、そんな人物の忠臣で、半島の虎退治が自慢とされる清正の居城を韓国の人はどんな気持ちで観光しているのかな。昨年の観光客は、城としては全国一だったとか。

 友人は膝を痛めているので、天守閣を登れない、一人で行ってくれとのことで、上まで登る。戦後に再興したものなので、中は床も壁もコンクリ造り。大阪城といっしょだ。 最上階からの眺めは、大阪城からなら生駒金剛あたりがある方面に阿蘇山の大きな山系がどっかり横たわっており、いい眺めである。風力発電の大きな水車ふうのもがいくつも回っているのが遠望できる。

 韓国語が飛び交うなかを降りてきて、友人と合流。売店でキテイちゃんグッズを確かめると、やっぱりあった。熊本城に立つキテイちゃんのケータイストラップ。どうやらサンリオは全国各地の都市、名所旧跡でオリジナルなキテイちゃんグッズを売っているようだ。おそらく大阪バージョン、大阪城バージョンもあるのだろう。孫娘には甘いことだが、熊本城バージョンもゲット。これで当分、孫娘から尊敬されるだろう(笑)

夏目漱石の旧居

 愛媛・松山での教師稼業を描いた「坊ちゃん」で知られる夏目漱石は、松山のあと熊本の五高教授で赴任、4年間の間に6回転居している。その5回目の転居先、内坪井町の旧居に行く。なにしろ東京帝国大卒、文部省派遣第一回英国国費留学生で、天皇に認証される教授だから、漱石の身分は特別扱い。車夫つきのおかかえ人力車で通学する待遇。家賃100円は、それだけで当時の月給取りの数人分だろう。

 庭つきの大きな屋敷。いまの{夏目金之助}の表札があがっている。むろん、表札は往時のものではるまいが、面白い。入場料は200円。部屋に上がると、入口わきに漱石の肖像画がある1000札を飾ってあるのが、ご愛嬌。

漱石の肉声を復元したとされる声を聞くことができるラジカセ、猫と遊びながら原稿を書いた文机、熊本での来歴や彼が書いた小説の初版本など貴重な展示物がたくさん。熊本で結婚した鏡子夫人との間に生まれて長女筆子さんが使った産湯に井戸とかもあった。

 余談だが、漱石は鏡子夫人と折り合いが悪く、彼のエッセイのなかで鏡子夫人のことをオタンチン何とか何とかとバカモン扱いしている。ここでもその記述が紹介されていた。漱石しかり、ソクラテスしかり。だいたい古今東西、悪妻に泣いた人が立派な業績を上げている例が少なくない。悪妻は創造の神であるか。

 漱石旧居を楽しんで、友人宅に向かう。県庁所在地から40キロくらい離れた山村である。定年退職後、田舎暮らし、農業をして暮らしたいと雑誌で探し、学生のころ乞食旅行をして記憶があった熊本県内をピックアップして実地踏査、選んだという。

 役場に電話を入れると、過疎に悩むところでは移住者を歓迎してくれるらしく、役場が車を出して、役人が案内してくれるそうだ。温かい土地という条件に見合った現在の元農家に白羽の矢。田二枚、10キロ離れたところに段々畑、山二つ、別棟の作業棟と部屋数がある農家を家賃2万円で借りたという。駐車料100円の土地でも、これは安いかもしれないが、相場が知らない。

 田も山も草ぼうぼうに放置しておくよりも、手入れしてもらえるだけでもいいと大家は言うそうだ。 旧道に面して、家の前に車三台くらい置ける空き地に軽四輪、作業場に小型の耕運機、農機具がたくさんあった。

 長く会っていなかった友人だが、彼のブログをいつも読んでいるので、疎遠な感じはない。ブログには集落の行事はじめ季節の花や農事のことが綴られていて、おおよその暮らし向きは想像していた。

友人の田畑へ

友人は関東方面の生まれ、赴任地の初めは秋田。だから同期生といっても初めは顔なじみではなかった。縁ができたのは入社数年後、大阪に転勤してきた。よくいっしょに飲んだ。定年退職後、前回述べたように田舎暮らしを実行した。農業への夢を語る人は多いけれど、未知の土地を探して移住する人はそれほど多くないだろう。



人影さえない山村である。

 冷たいお茶を頂いて一息いれると、友人は部屋を見せてくれた。もう壁という壁は本棚ばかり。一部屋などは完全は書庫並み。物凄い量の本がった。過日、静岡の地震で本の下敷きになって死んだ女性の話が実感を伴って話題になったほど。

 外に出ると、人影さえない山村である。プチトマト、オクラ、水ナスなどの田。ブルーベリー、栗、イチジクなど果樹の畑。案内してもらっている間のマムシ二匹。農は命がけだ。刈っても刈っても、草ぼうぼう。山の斜面の草刈りも大変。「ほっといたら、どうなの」。草を刈らなければ、栗の収穫ができないという。なるほど。

 帰途、彼の農産物を出荷する道の駅へ。鮮度が落ちるので陳列は二日間。その間の売上げの10%を手数料で納入する。三日目の製品は朝早く回収に行く。そうしないと、廃棄するルールだという。キュウリ4本入りで100円と言った値段だから、儲からないそうだ。まったく、そうだな。                                                          


平山温泉

 平山温泉へ。友人は宿泊を付き合ってくれる。あの黒川温泉をしのぐ九州一の温泉満足度という評判の温泉と地元新聞も大きな記事を掲載していた。そのコピーが休憩地に張ってある。いわゆる美人の湯というかツルツル、ヌルヌルの泉質が売りのようだ。窓の外はまったくの田畑。ここは景観よりも温泉のみのところだ。



 たっぷり湯を楽しんで、さあ、生ビールの乾杯。15年ぶりの飲み会である。楽しかった。。かくして深夜まで焼酎を飲んでは、駄弁り、駄弁っては飲んだ。

鍋ケ滝


熊本に行くまえ、車で案内するから、どこか行きたいところがあるかと友人は聞いてくれた。そこでネットでしらべて、プチ・ナイヤガラみたいなキレイな滝、「鍋ケ滝}を所望しておいた。 

 素晴らしい滝であった。二日酔いを醒ます。気持のいい水音、涼しげな水流れ。小さな町の小さな滝だから、見つかるかなと思案して、クルマを走らせたが、苦労の甲斐があった。 着いてみると、意外や意外や、たくさんの車が道路の行列していて見物人が大勢来ていた。

 この滝がユニークなのは、裏が洞窟になっていて、滝の裏まで入れることだ。さそっく裏側に入ってみると、水流のベールを通して緑の森の風景が幻想であった。デジカメを、はしゃいでいた女の子に押してもらったが、ご覧のとおり、発光してなかったが、でも滝の裏側にいる感じはつかめるだろう。 


大観峰へ

 鍋ケ滝の思いがけない景観に喜んで、次も所望した大観峰(ダイカンポウ)をめざす。雄大な阿蘇山に盆地を挟んで対面する台地状高地の先端が展望にいい。あまりに見事な景色が眼前、眼下に広がるので、かつて明治の文豪、徳富蘇峰が村の要請にこたえて{大観峰}と名づけたという。

いい天気に恵まれて、阿蘇山系の麓から国道212号を走っていると、やがて山道にかかり、左右は牛馬の放牧地。山並みの起伏をいかして、どこまでも緑の牧草の海。

やや、あれはなんだ!!。小さな池の周辺に太陽をまともに浴びて馬と牛がいっしょに憩っている。仲がいいらしく、混在して、まるで石像のようにじっとしている。 

 さて、大観峰のあるあたりは観光バスやマイカーがぎっしり。大阪ナンバーのバイクも多い。ツーリングでここまできているのだ。

売店や食堂にあるあたりから、さらに徒歩で高地の先端まで散歩すると、大景観が一気に広がった。やや霞がかかっているのが惜しいけれど、素晴らしい大きな景色に堪能した。友人は膝が痛いので、やや傾斜のある先端まで歩けず、途中のベンチで座って待っていてくれる。申し訳ないことだ。   

一団の女子大学生とおぼしき連中に頼んで、デジカメを二枚写                      

してもらったが、お返しのデジカメ写しは注文が多くて、いっぱいシャッターを押してあげた。                                                                                         

大観峰を去って、阿蘇山本体に向かう。今度のは阿蘇草千里ケ浜。山で浜とは、これいかに?。牧草地が広い斜面。まるっきり海岸の青い海のような景色が見られるので、この名があるのだろう。

貸し馬が大人気。アベックや家族連れが5分2000円という値段にも関わらず、よろこんで乗っていた。行ったり来たりの馬はちょっとお疲れ気味だった。競走馬のようなスマートさに欠ける鈍重なスタイルの馬であった。

 

観光バスなどが止まれる大駐車場やレストランがあり、窓際から景色をながめつつ、熊本ラーメンなるものを食す。だいたい九州のラーメンは濃い豚骨スープ系が多い。これが、九州の味かもしれない。

友人はもう移住して8年だから、九州の味に慣れているのだろうか。

農業に明け暮れて、ろくに観光をしていないので、けっこう楽しんでくれているような気がして助かる。「地元のもんは意外に地元をみてないもんだ」と言ってくれる。ありがたい友人の言葉に救われて楽しむ。

日本一長い駅名

 大観峰の大きな景観を楽しんだりしたあと、下界におりて、友人は面白いところに案内してくれた。南阿蘇鉄道という単線のオモチャのような鉄道に日本一の長い名前の駅がある。

私がが立っているのは、その駅舎。むろん、無人駅。名前は「南阿蘇水の生まれる里、白水高原駅」。このあたりは火山・阿蘇山系の水が遠く離れたところで随所に伏流水となって湧き出しており、これが美味しい焼酎や酒の元にもなっている。 

 駅名は、そのことを現しているのだが、実は今春までは日本一の駅名は島根県・松江市にある駅にあった。一畑電鉄北松江線にある「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前」がそれ。ところが、今春3月、閉館した。入場者数が激減したため閉館し、それに伴い駅名からもカットされたそうだ。駅前の看板に「一番に返り咲いた」とあった。ちなみに一番短い駅名は三重県のJR・近鉄などの津駅。

 明るい日差しの下で、誰もいない駅舎のなかや、ホームを歩いてみた。心地よい高原の風が吹いていた。

 このあと車で隣の駅に行った。ここも無人駅であるが、廃墟の駅舎を利用して蕎麦屋になっているというので食べに行ったのだが、残念ながら土日しか営業してないそうだ。改札口の横に蕎麦屋の看板があったりしてなかなか興趣がある蕎麦屋さんなんだが、残念でした。



白川水源

 伏流水が豊富に湧き出しているところでも「白川水源」は有名。キレイな冷たい水がこんこんと湧き出していて、みんな手をつけたり、飲んでみたりしている。ちゃんとヒシャクなんかも用意してあった。ご近所の人はポリタンクいっぱい汲んでいた。さぞかし、美味しいコーヒーや水割りが飲めることだろう。冷たいアイスクリームを食べて一服。







地獄温泉



 今夜の宿は南阿蘇の地獄温泉。山をそうとう上まで登ったところに宿泊施設が建っていた。近くに与謝野晶子と鉄幹夫妻が泊まった縁の垂玉温泉というのもあるのだが、ネットで調べたこの温泉は、当たり、正解だった。 

 大きな提灯、イノシシが迎えてくれた。作務衣をきた女性従業員がキビキビ、明るい。一ヶ月など言った長い湯治客のための別棟がある。地元の人も湯にだけ入りにくるらしい。むかしながらの素朴な温泉宿の雰囲気がいい。元湯、すずめの湯、家族湯があり、いくつかの棟がある大きな宿であった。

 元湯に入り、いったん浴衣を着て、こんどは「すずめの湯」へ。下駄を鳴らして、坂道を下る。真っ黒屋根があり、その下に男女別の湯がある。写真の右側の小さい屋根の下は混浴の湯であった。まずは白濁した男子湯に浸り、やおら裸のまま混浴湯へ。

 先におじさん、おばさんが数人入浴していたが、こちらが入っている間にも、オバチャンがやってくる。胸までバスタオルを巻いてくるが、入るときは、パラリと脱ぎ捨て、ゆっくりと湯の中に沈む。白濁湯なので入ってしまえば、みんな同じだ。

 TVの旅番組で元女優がバスタオル巻いて湯の入っているのは、あれは規則違反。保健所の指導で、湯の中に異物をもちこんではいけないのだから、あれは撮影用のインチキ。

上の写真は湯につかりながら、撮った現場の風景。目が合うと、怒られそうだった。目が合わなくても若い女性が居たとしたら盗撮の嫌疑を受けるかもしれない。厄介なことだ。奥に沈むのは女性。右側にチラリ頭が写っているのも高齢の女性。この女性は体を湯に深く沈めて、砂をいっぱい手桶に集めていた。ヘンな行動なので、

「オバサン、何しているの」

「湯の底の砂を取ってる」

「どうして?」

「湯上りの体になすりつけるっじゃ」

「どうして?」

「温泉の滋養がたまっていて、体にいい。よか効く」

「なにに効く?」

「リュウマチとか腰痛とか、なんでも」

おばさんは、好奇心にみちた質問にゆっくりこたえてくれた。気を許してくれたのか、もともと気にしないタチなのか大きな垂れめのオッパイを広げたまま、なんども砂を取る仕草をしてくれた。純朴な気のいい日焼けしたおばさんだった。

明るい日差しのなかで湯に入っていると、周囲は静かで、山の風が吹いている。湯がどういう自然の成り行きか、ときどき、ぷつぷつと弾くように鳴る。これが「すずめの湯」の名づけの由来かなと考えながら、湯のなかに居た。

 

 今夜も大酒を飲んで、昔話に花を咲かせた。ひさしぶりに大声をあげて笑いあった。傍目にはもう、まったく爺さん、爺さんをしていたにちがいない。旅先の楽しみの一つは、食べること。なにか珍しいもの、見慣れないもの、話のタネになるものなどがあれば、いっそう楽しい。



夕飯の献立比較

 上の写真は平山温泉の夕飯、まだ、このあとに煮物、鍋物、五目御飯などが出てきたが、これと言って特別なものはない。旅館の献立政策に工夫がない。これでは、どこの夕飯の献立でも通じる、独自のものが全然ない。客商売で一番に力を入れる部分に個性がない。一番のご馳走は、友人と乾杯した生ビールと友人との尽きぬ話になってしまうではないか。 

 下の写真は地獄温泉の夕飯。別棟の民芸ふうの食堂。テーブルの間を小さな川が流れていて、食材がザルにのってゆったりと、ドンブリコと流れてくる。ちゃんと献立名もあって、その名は「野鳥いろり焼きコース」。

 炭火がカンカンに燃える囲炉裏に、次のような食材がいっぱい。地鶏、合鴨、イノシシ、ウズラの肉、ヤマメ、豆腐、ピーマン、ネギ、、、いろいろ串にさして、炙る。肉類は、ジワジワと脂が浮いて、ポタポタと炭に落ちる。ヤマメは、なんどもひっくり返して、じっくり焼く。硬い豆腐にはなんどか裏表に甘めの味噌ダレを塗る。

 アチッ、アチッチと叫びながら、食べごろを見詰めて、こまめに手を動かす。すすむビール、重ねる焼酎、弾む会話、、、。いうまでみなく、平山温泉より、はるかに印象的で美味しい。なのに、こちらの方が宿代は安い。作務衣を着た女性従業員もキビキキ、明るく、笑顔がいい。二つの温泉を比較すると、勝負は決まっている。もう一度、訪れたいとしたら、地獄温泉に決まっているね。 

 さんざん飲んで、部屋の戻るときはご飯分をおにぎりにしてくれた。曲水庵という名の食堂は持ち込み禁止だったが、部屋では、ご自由に、というわけで、部屋で第二ラウンド。まったくもう、大酒のんでしようがない連中だな。

 翌日はどこへ行くか。友人の農作業をいつまでも放置させられない。いつまでも一週間といわず一ヶ月でもぶるぶらしていたい心境なんだが、英彦山に登ろうかな、と答えると、その登山口まで送ってやるという。

 こうして熊本県中央部を北を向いて走りに走り、大分県境を越えて、福岡県入り。田川郡添田町という山深い過疎地に送ってもらう。ナビの設定をいい加減に頼んだせいか、英彦山近辺に来たのだが、なかなか登山口がわからない。

 先ほどらい、ひどい雨が降りだしていたし、、登山口は見つからないし、だんだん気持ち的には登山意欲喪失してくる。なにしろ大酒飲んで、夜更かししているので体調がよくない。

しかし、正午まえ、登山口にあたる広い駐車場に到着。空も晴れてきた。現金なもので、やはり登ってみたいと思う。友人はトンボ帰りで自宅に戻るという。ここで、お別れだ。この先お互いにしぶとく生きていたら、、もういっぺん地獄温泉で会おう、そんな気持になって、戻ってゆく車を見送った。 

 リュックが重い。駐車場わきの食堂で腹ごしらえをしようと入ると、なかに先客が一人。高齢の男性登山者がいて、山登りますか、と訊く。そうですと答えると、わしもです、という。

 この時間から登る人がいるのか。ちょっと気が楽になった。こちらが肉ウドンを食べている間に男性は、お先にと出発した。ふと思いついて、食堂のおばさんにリュック預かってもらえないかと持ち掛けると、快く応じてくれる。

 デジカメ、ポット、カサを一まとめにして持ち、肉ウドン代を倍払って、預かり料と言ったら、おばさん、困ったような顔をしていたが、受けてくれた。これで、身軽になった。往復3時間強くらいの見積もり、日頃登っている金剛山の正面登山道くらいと想定した。

 林道を十分歩き、修験道の神社について一息。見上げると、どこまで続く石段ぞ、という長い階段を登る。壊れてイレギュラーな石段を一つずつ上がってゆく。先行したさきほどの高齢男性に追いつく。 

 68歳、地元の県内の人で、年金暮らし、百名山なんかを巡っているという。四国遍路もしたことがあるという穏やかな口ぶりで、苦労人らしい一言。昔は食べたいと思っても、食べるものがなかった。いまは、暮らしづらいと言っても、食べるものがない、というほどの貧窮ではない。買い物は時間をずらし、曲がっているものでも気にせず買えば、案外に安く暮らせるものだ。ありがたい世の中だと想うと達観したことをいう人だった。

 訊けば、この山は二度目とかで、いろいろ教えてくれるが、足取りが実にゆっくり、ゆっくり。失礼して山頂へ急ぐ。過疎地のjR線は列車が少ないので、下山をもたもたすると、北九州へ移動できないのだ。 

 一箇所だけ鎖場があったが、あとは危険がない山道。標高 1200mの山頂は広く、修験道の神宮に当たる建物があるが、朽ちて補修されないままである。冷たい風は吹いている。ほかに登山者の影はない。しかたなく人待ちをしていると、先のおじさんが追いついてきた。交代にデジカメのシャッターを押し合った。

 

 食堂に戻り、リュックを回収。バスを待つ。民営のバスはなくて、町が運行する例のコミュニティ・バスが走っているが、一時間に一本あるかないか。待つこと50分、100円バスであるが、乗客は私だけ。

 ひこさん駅まで、あちこちぐるぐる寄り道して行くが、依然として乗客は一人もいない。駅に到着。ここも無人駅。駅前広場の向うにある商店も閉じている。改札横に近隣駅の乗車券自動販売機があるだけ。遠方の行き先には、車内か降車駅で清算する仕組みか。

 駅舎内のベンチ、ホームのベンチになぜか数人の中学生の男女がふざけあっている。男の子が話し掛けてくる。

「どっから来た?」

「ひこさん、登ってきた。登ったことあるか」

「ない、登って、面白いか」

「ウン、そうだな。山登り、興味ないか」

「山なんか、、、。どこへ行くのか」

「北九州へ出て、大阪へ帰る」

「マジ、遠いな」

「駅は遊び場か」

「マジ、行くとこがないね、このへんは」

「北九州くらい行くだろ」

「行ったことがない」

 会話の間、こちらの言うことに、いちいちマジ、マジと言う。無人駅は地元の子供たちの、なんとなくのたまり場になっているらしい。過疎がゆきつくとこまで進んでいる感じ。なんだか荒涼とした、夢さえ枯れる地方の風景である。 

やってきた電車から二人の乗客がおりて、乗ったのはこちらだけ。久しぶりの友人、ひさしぶりの温泉、大きな緑の山と自然の風景。いい気分転換になった旅であった。

しかし、車窓から夕暮れの低い山並みを見ていたら、さっきの行き場のない中学生のような気分になってきた。トシからくるウツかもしれないな。これは。


inserted by FC2 system