源流から河口を訪ねて(4)                                                                            

        

 

                 第四回  平成20年6月7日(晴れ)

    (近鉄道明寺線柏原南口駅→河内橋→新明治橋→行基大橋→         遠里大橋→阪堺大橋→南港東一丁目・起点プレート→南港ポート        タウン線南港口駅  約19キロ)               

梅雨の晴れ間になった土曜の朝、近鉄道明寺線柏原南口駅に戻る。ここでYさんと待ち合わせである。

少し間があったので、前に気づかなった築留の甚兵衛像の後ろにある川畔に行って見る。付け替え工事のとき、ここの築留で川の流れは完全に遮断されたわけではなくて、樋門が設置されて河内平野へ細流が確保されているのだ。田畑への灌漑用水の確保であろう。それが、いまの長瀬川である。

マンションが建つ川っぷちは緑青色の柵に囲まれて樋門に近づけないが、横手から見ると、レンガ色のアーチを描く小さな樋門が口を開けている。豊かで、きれいな水量がある。そばに石碑。「築留二番樋 文化庁登録有形文化財」とあり、この樋は明治四十年ころ築造された。イギリス積みと呼ばれるレンガ積みで、美しいカーブを描いて仕上げられている。平成十三年に文化財登録されたなどと刻まれている。

享保年間の付け替え工事の後もメインテナンスに留意されて、明治時代の末期に新しい工法で修築されたものと思われる。まさに脈々と治水の伝統が継承されている。地元にとって郷土の誇り、画期的な事業を偲んでいるのだろう。

さて、新大和橋のたもとで、いつも元気なYさんと合流。堤防上はサイクリングロードに指定されていて、バイクの走行を禁止している。スポーツサイクリング愛好の人たちがたくさん行き来して走ってくる。

独特の紡錘形のキャップをかぶり、ぴったしのカラフルなタイツを着ている。新大和橋を渡り、石川の方へ駆けるものが多い。サイクリングをする人が、こんなに多いとは思いもしなかった。堤防上の専用ロードなら、見晴らしはよく、風はよく通り、気分が晴れることだろう。

今回の行程は大阪湾の河口まで、最終のコースである。川面をのぞくと、たくさんの釣り人が竿を伸ばしている。みんな言い合わせたように自転車をかたわらに置いて、小さなイスに腰掛けている。そばには大きな長い網が地面に転がっている。大物がかかったら、すくいあげる手はずである。

朝早くからいい場所を探して自転車でやってきた釣りフアンたち。品がいい趣味、いい気分転換の仕方である。数人の小中学生のグループに声を掛けると、鯉を釣るんだという。年長の少年がバケツのなかで粉をこねて、野球ボールのような大きい団子を作っている。

「それは撒き餌にするのか、なにかな、材料は?」

「トウモロコシや」

「トウモロコシで釣れるのか」

「こんなかに針を埋めて釣るんや。撒き餌とちゃうで」

子どもたちは楽しそうに目が輝いている。釣っても食べないという。釣りの世界ではキャッチ・アンド・リリースの思想がよほど行き届いているようだ。それとも汚染魚だからはじめから食べることを考えておらず、釣る技術を楽しんでいるのかなとも思う。

空には早くも小型機が舞い上がり、ブーンという音が響いている。八尾飛行場からヘリコプターやセスナ機がしょっちゅう離陸している。小型機の飛行音はのんびりと、かったるくて、いいもんだ。

右岸は河川敷が広く、芝のある道があって、歩きやすい。ここらあたりの川幅は広い。広いが、水深は浅い。人工の瀬と淵に出合う。例の「瀬と淵方式」の水の浄化作戦である。川幅いっぱいに横断して、二段の堰とサイコロ状の石の行列がある。

柏原地区では五箇所で集中的に「瀬と淵方式の浄化施設」を設けているという看板が堤防上にあった。この瀬と淵方式を含めて浄化作戦を実施しているのは、奈良・大阪両府県内で支流も含めて十九カ所もあるという。その名も「清流ルネッサンス」と総称して取り組んでいる。

結局、川をきれいにするには、このような水質浄化作戦をはじめ下水道の整備と流域住民の意識の向上にあるのだろう。この川の流域では下水道が遅れているところが相当あるそうだが、行政にとって基本課題の一つが放置されていることに理解に苦しむ。住民による努力というのは、具体的には生活上のゴミや排水や事業用排水の垂れ流し、不法投棄を止めることだろうが、これは言うは易いが、現実はひどい。

堰の水の落ち口に大量のゴミが淀んでいる。ペットボトル、紙片、木切れ、紙箱、それにバレーボールやサッカーボールもくるくる回っている。水かさが少ないので、流れに乗らないで、永久運動のように、その場で浮沈を繰り返している。

二段目の堰の下に川鵜が居た。魚を見つけたのか、潜水する。「意外に長い時間、潜ってますね」とYさん。姿が見えないので、どこか遠くに行ってしまったのか、水面を見つめていたら、ひょいと石の行列の向うに浮上する。川鵜が、こんなに潜水を繰り返すのは、よほど魚が豊富なんだろうか。

「このたくさんの石は、いわゆるバッキですな」とYさんがむずかしい表現で言う。「曝気」である。文字通り、しぶきをあげて水を空気によくさらす。酸素を取り込み、川の自浄作用を促しているのである。

この方式の場所に出合って、簡明な仕掛けを見ていると、遅ればせながら、わたしは自分が飼っている熱帯魚の水槽の水質管理と似ているのではないかと合点した。水槽は水が濁り、緑藻とかコケが発生しやすいので、ポンプを付けて酸素を送り込む簡単な装置を付けている。この「ブクブク」のほかに水の循環式フィルターを付けている。水を吸い上げて、外部のフィルターを通して再びに水槽に戻している。

ただ、水槽には生活排水のような外部の汚濁が入らないが、魚の餌の残りと糞が大敵である。これによる富栄養分を食べてくれるバクテリアを繁殖させなければならず、外部フィルターのなかに小石のようなものを入れて繁殖を促している。これは瀬と淵方式と同じではないかと思った。そういえば、水質の浄化に役立つと聞いているので、最近は黒い竹炭も底に沈めている。水質の方は目視できないので、なんとも効果のほどがつかめないが、、、。

河内橋に接近すると、堤防の斜面に大きな魚と船の絵が描かれている。懐かしい銭湯のタイル画みたい。白い小石を敷き詰めて、船の形の部分は彩色されている。かつて水運が盛んだったころに使われた剣先船であろう。船首がとんがり、喫水が浅い。帆が立っている。帆は「むしろ」を使ったそうだ。ほとんど実物大ではないかと思われる大きな図柄。

「こんな船で荷を運んでいたのかな」

「昔は川底が深かったのかな」

「いまの川ではムリだろうな」

今の大和川は、水深が浅すぎる。水が流れる水脈も狭い。たくさんの堰がある。舟運という利水法を現在は想定していないから、実物がないのは仕方がないが、こういう船がのんびり運航している光景を見てみたいものである。

川岸に大きめの水たまりがある。こういうのをワンドというらしいが、ここでも釣り人が数人いた。パラソルを日除けにさしている人もいる。のんびりした週末の河畔の風景である。

「鯉が釣れますか」と声を掛けると

「いや、フナだ」

外環状線の新大井橋の下を抜ける。右岸は八尾市、左岸は藤井寺市である。両岸の河川敷がほどよい運動広場になっているせいで、少年野球のチームやテニスをする子どもたちが目立つ。このあたりの地域は少年野球がよっぽど人気があるのだろう。マイカーが集まり、父母が湯茶などの面倒を見ている。みんな甲子園や阪神タイガースを夢みているのだろうか。野球の練習には、なぜか大声がつきもののようで、ひっきりなしに騒いでいる。

草むらのところどころに「注意事項」の看板。ゴルフ、ラジコンなどをするな、と呼びかけているのだが、その看板の目と鼻の先で、中年のおっちゃんが、平然とゴルフクラブを振り回している。こちらが近づくと、間が悪いのか、横を向いている。しばらく行くと、こんどは二人組のおっちゃんが、堤防脇にバッグを放置してパットの練習をしている。

「ゴルフ練習くらい打球場へ行ってやればいい。危険なことがわかっているはずなのに」とYさんは憤慨している。自分の楽しみごとに金をケチっているという根性にも腹を立てている。わたしも同感だ。だが、こういう非常識なおっちゃんに直接注意する勇気はない。なにしろ、敵は凶器にもなるゴルフクラブを握っている。非常識なおっちゃんに見当違いの怒りを誘発させてはいけないから、黙っている。内心は忸怩たるものがある。ちかごろは他人に口を出すのは、そうとう勇気がいる。わけもなく逆恨みして蛮行に及ぶ輩がいるから安心できない。

せっかくの広い河川敷が、凶暴なボールが飛ぶ危険地域になって、住民が安心して歩けない。そんなことを考えながら歩いていると、河川敷が両岸から広がっているうえ、背丈の高い葦が繁茂していて、いつのまにか川面が見えなくなっている。

水辺に大きな木が育っているが、その枝葉にみっともないゴミがいっぱいまつわりついている。青いビニール、レジ袋、布や紙片が汚い野放図なデコレーションとなっている。情けない光景である。荒れた人心と同じような殺風景な光景である。

あの高さまで水量があふれることがあるってことですね」

「おそらく年二、三回はあるんでしょうな」

増水時、濁流が音を立てて流れる勢いを想像すると、ぞっとする。河川敷を歩く私たちの背丈を越す高さにゴミが木の枝葉に止まっている。いまのおだやかな河川敷からは、想像を絶する増水である。

大和川河川事務所の資料によると、近年には平成十九年七月十七日に奈良と大阪で一時間当たり100mm以上の集中豪雨が発生、藤井寺水位観測所では瞬間的に計画高水位を超えたという。このあたりの計画高水位というのは、8、293メートルであり、水防団待機水位が4メートルと設定されていることからして、いかに大増水であるか、想像される。ちなみにこの地点では氾濫注意水位が6メートルとされているので、計画高水位をオーバーというのは、もう堤防がギリギリ堪えられるどうかの瀬戸際である。おとなしい川が荒れ狂う猛獣のように変貌するときがあるのだということを示している。

それにしても、水辺の大樹はなんの木なんだろう。両岸にたくさん繁茂している。あれほどの大樹の育つ間、濁流になぎ倒されることなく成長したとも考えられるから、さきほどのような大増水というのは滅多にないことかもしれない。

高野大橋と阪神高速松原線(国道309号とも同じ位置)の架橋をくぐると、まもなく堤防の草むらに囲まれて「大和川距離標9・6km」の標石。やっとこさ、あと十キロを割った。

海高野線の架橋下を抜ける。会社勤務していたころは、毎日この電車を利用していた。車窓から四季の川辺の表情を一瞬の内に眺めていた。人の気配がない白い砂州を見下ろしたり、堤防をジョギングする人、犬の散歩をする人、ときには濁った川水が轟々と流れていく有様を眺めていたものだ。

そのころ「この大和川の川水はどこから発しているのかな」とふと思ったことがあったが、そんな思いつきを、いま歩いて確かめていることがおかしい。

行基大橋の手前の小公園で昼食。運動公園はたくさんあったが、親水公園はない。したがってトイレもベンチ、屋根のある小屋もない。この先、河口までそうした施設は見つからなかった。

吾彦大橋の東で西除川が合流してくる。そういえば、東除川は明治橋の東方で合流していた。この二つの川は大阪狭山池から流れて出て、人口密集地の羽曳野、藤井寺、松原、堺の各市を抜けてきて、いずれも左岸に合流する。流域内では特に生活排水や事業所の排水が多く含まれているといわれて、水質悪化の一因とされている。

残念なことに大和川の水質の悪さは全国の喧伝されている。高度経済成長の真っ只中の昭和45年が水質悪化のピークとされている。大和川河川事務所によれば、水質の検査はいろいろあるが、一般的によく知られているのはBOD値。BODというのは、生物科学的酸素要求量の英語表記の頭文字。1リットル当たりの水の中に棲むバクテリアが有機物(汚染物質)を分解してしまうのに消費する酸素量を指しており、数値が大きいほど有機物が多い、つまり水質が汚染していることになる。

これらのBOD数値を計る採水場所は、両府県の国が管轄する水系で、次の八カ所。奈良県側では上吐田(川西町)、太子橋(安堵町、河合町)、御幸大橋(河合町、斑鳩町)藤井(三郷町)の四カ所。大阪側は国豊橋(柏原市)、河内橋(藤井寺市)浅香新取水場(堺市)、遠里小野橋(堺市、大阪市)の四地点である。

たとえば、ヤマメや岩魚が棲むにはBODが0−2ミリグラム(リットル当たり、以下も同じ)と本当の清流でなければならないが、きれい好きのアユなら2−3ミリグラム、やや鈍感そうなコイとかフナでも3−5ミリグラムでないと生育するのは苦しいという。自然繁殖できる水質条件となると、さらに1ミリグラム低くなければならないそうだ。わたしたちが堤防で釣り人から聞いたのは、このコイとフナばかりであったことを思い出す。。

といっても、ミリグラム単位の話で、いまひとつピンとこないが、最悪の数値が出た昭和45年で言えば、32ミリグラムだという。その後も近年になるまで10ミリグラムを割ることはなかった。国の定める法律(環境基本法)によれば、人の健康状態を守り、暮らしの環境を保つのに、ふさわしい水質環境の基準値というのは、5ミリグラムとされている。実の2倍から6倍以上も汚れていたことになる。人が健康を保てる条件が、フナもコイも同じというのが興味深い。基準値というが、許されれるギリギリの最低限値という感じである。

こうした結果、大和川は全国の一級河川の水質ワーストランキングの一位という汚名を着せられている。二位の綾瀬川(埼玉・東京)、三位の鶴見川(神奈川)が続いている。たまに一、ニ位が入れ替わることがあっても、不名誉な汚染川の常連に変わりがない。大和川は、歴史と文化を育んだというイメージの川というよりもワースト河川で有名とは、なんたることか。

とは言っても、これまでも述べてきたように浄化の努力を重ねてきた成果が現れている。大和川河川事務所の調べでは、平成八年では、奈良側の初瀬川、布留川、葛城川など上流域を除くと、どの地点でも10ミリグラム以上の汚染。とりわけ東除川は15ミリグラム以上と最悪の状態であったけれど、十年後の平成十八年では、ほとんどの地点で半減している。東・西除川でも改善の兆しが見えているという。

地球規模でもみても安全安心な水、衛生的で健康な水資源は少なくなっていると指摘されている。まともな飲み水が得られない人類が十二億人いると国連が推定している。温暖化や都市化が地球の砂漠化を推し進めている。身近な川を大切にしなければならない。そこから安全な水を確保できる環境を作ることは、大袈裟に言えば、切実な人類的課題である。

堤防の向こう側の建物に「よびもどそう 大和川」の看板があった。2010年は平城京遷都1300年の年に当たる。大和川河川事務所は、この川がいにしえの大和と難波を結ぶ歴史的な河川であることから、この記念すべき年を目途に大和川浄水キャンペーンを展開しているのだ。

地図を開くと、大和川はU字型に蛇行している。このあたりは対岸の浅香山の丘陵地をさけて、川筋が大きく北側の大阪市側に踏み込んで蛇行しているところ。あの付け替え工事は基本的に海に向かって一直線、田畑はそのままに両サイドに築堤するかたちで行われたが、ここでは上り坂にかかる高所を避けて水脈の掘削をしたと言われている。

浅香には浄水場があって知られていたが、とっくに水質汚濁のために大和川からの取水は中止されている。浄水場といっても、いまは初夏のツツジの花壇の方が知られている。大和川からの取水が上水道に利用されているのは、あの初瀬ダムだけのはずである。

阪和線のそばの大阪市大の運動場付近がU字の底に当たる。この大曲りを曲がりきると、チンチン電車が走る阪堺電軌阪堺線、南海電鉄本線、阪神高速堺線、国道26号線など多くの橋が輻輳して、特別に都市的な景観が広がってくる。

この鉄道橋の橋脚部分にはきまって量水板が貼り付けられている。前述したような増水時の水かさを目測できるもので、私たちの背丈をはるかに超して水位が高まることが一目でわかるわけで、妙に生々しい。

このあたりでは、こころなしか海辺の香りをかぐ。風にのって潮の匂いが漂うようになる。いよいよ大阪湾に近づいた。阪堺大橋近くで中年男性の釣り人と出合う。竿を三本も立てている。やはり大きな網を手元に転がしている。

「どうですか、何が釣れますか」

「鯉よ。朝から五匹釣った」

「どないしましたか」

「いや、丈を計ったら放してやる。きょうで一番大きいのは八十五センチあった」

男性は嬉しそうに両手を広げている。

彼は鯉の餌にとご飯を練りつぶした団子を利用している。鯉はなんでも食べるらしい。竿を立てているのは、鯉の引きがあると、竿がしなるので、わかりやすいからだそうだ。大きいヤツが食うと、大のおとなが引っ張られますよ。鯉の豪腕?をいかにも楽しそうに話す。そこが鯉釣りの醍醐味なんだろうな。

「もうこのあたりは海の魚も釣れるんでしょう」

「そうよ、ボラとかスズキとかね。で、おたくらは何をしてるんや」

「この川の奈良の方から歩いてきたんです」

「ええっ、奈良からでっか。俺ももとは奈良出身やけど、歩こうとは思わんな」

みんな笑った。たしかに酔狂な計画にちがいない。

Yさんが目ざとく見つけた。

「あっ、河口の先で船が横切っている、あそこが大阪湾だ」

「ほんと、ほんと」と家内も叫ぶ。

ついに大阪湾が見えるところまでやってきた。阪堺大橋を過ぎると、そのあとは人が歩いて往来できる橋はない。高い空を横切っている斜長型の阪神高速湾岸線の自動車道路だけである。

薄すぐもりの空の下、中州にカモメがたくさん羽を休めている。チドリのような鳥が砂州の上を軽やかに歩く。川幅は河口に向けていっそう広がったが、まだ川の真ん中で竿を振り回している男性がいる姿をみると、意外にも浅瀬のようだ。膝の上くらいしか水量がない。

ここらあたりは見た目にも案外、きれいな水が流れている。透明感もあり、岸辺では川床の砂地も透けて見える。素晴らしい。こんな岸辺を見るのは、初瀬川の上流いらいである。この辺では川の水と海の水が行ったり来たりしているのに違いない。

きれいな水、美しい川というイメージは、具体的にはどういう状態を思い描けるのであろうか。まずは清流好みのアユ、サケやマスたちが遡上し、産卵して育つこと。夏、歓声をあげて子どもたちが岸辺や淵で泳げるようになること。年間を通じて季節の渡り鳥が飛来したり、巣作りができる豊かな草木が育つこと。それらとあわせて、なんといっても飲み水として取水されるようになること。こうした現象を満たされれば、水質汚染からの完全脱却、きれいな川のシンボルと言えるかもしれない。

犬を連れた二人の女性のあとを追うように河川敷を行く。堤防と河川敷の間に二軒のバラックが建つ。青いシートで屋根を覆い、石を載せて飛ばないようにしている。近づくと

大きな犬が猛然と吠える。ランニングシャツの中年男性が、警戒心を露わにした表情でわたしたちを見詰めている。

 バラックの前に小さな札。河川敷の不法占有なので撤去を要請する内容だった。思えば、長い川筋歩きだったが、柏原のスーパー堤防上の立ち退きを迫られていた家屋のほかには、初めての不法行為の場だった。

堤防がだんだんと高くなり、しかも完全にコンクリの壁となる。堤防というより防潮堤である。二階建ての屋根の高さである。河川敷から堤防に上がるには、ところどころにあるハシゴを登らないといけない。一方の水辺は石積みの護岸が続く。対岸は新日鉄の広大な工場敷地。下流に目を向けると、くもり空が海とつながるあたりででっかい貨物船が横切ってゆく。大阪湾である。

とうとう河川敷が行き詰まった。あとは防潮堤にこびりつく狭く足場の悪い岩場である。これ以上は危なくて進めない。

「この辺が河口かしらね」

「なにか標識でもあるのか」

あたりを見回すが、なにもない。あるのは、雑然としたゴミの山である。殺伐と無残でな光景である。たどり着いた喜びも感激も失せてしまう。岸辺は波に打ち上げられたペットボトル、ビニールシート、大小の木片、紙片、枯れ草、新聞、雑誌、いろんな空き缶、むしろ、古タイヤ、発泡スチロールの箱、プラスチック箱、桶やバケツ、各種の球技ボール、あらゆる浮遊物が集積している。おそらく満ち潮になれば、さらに浮遊を続けて海に出てしまうものもあるのにちがいない。

南の国から流れついた「椰子の実」のような風情のある漂着物ではない、どれもこれも人の暮らしに密着した生活用品のなれの果てである。川は自然現象によって汚れたのではなくて、故意に捨てられたか、過失で流出したか、いずれにせよ、人間の営みのなかから生じた厄介ものである。川の汚すものは、あきらかに人間の経済活動、暮らしによるものであることが一目瞭然のゴミ、ゴミの山。

「憤懣やるかたない惨状だ」とYさん。

「終わり悪ければすべて悪し、きれいな川になるには道遠しの感だな」と思う。

こうした目に見えるゴミは、生活が多様化すれば、量的な拡大は避けられない。これを食い止めるには、念入りな環境教育、辛抱強い社会啓発、ルール違反者の取締りなどでもって対応しなければならないが、むずかしい。


そのうえ、もっと問題なのは、水辺から目でも確認できない水質の汚濁である。どんなに有害な化学物質が水に溶けこんでいるのか、ほとんどの住民にはうかがいしれない領域。この質的な汚染は見極めがむずかしい。不法にひそかに投棄されていたら、住民には防ぎようがない。カドミウムやチッソの例を思い起こすまでもなく、一般の人には因果関係がわからないところで浸透するので、恐ろしい。

無残に堆積したゴミの山に呆れながら、防潮堤の行き止まりに掛けてあった手作りの木製ハシゴを伝って街路に上がった。まだ海岸まで先があるのだ。なんとなく「大和川河口」とか、起点とかの表示があってもいいような気がして、しばらく歩いたが、ずっと大きな倉庫が立ち並び、なかなか海岸線に出られない。

そこでハシゴのある場所まで引き返すと、最初、気がつかなかったが、そこの防潮堤の壁に五十センチ角の鉄製のプレートがはめこんであった。「起点 これより下流は大阪市が管理する防潮施設である。大阪市港湾局」とある。そして左向きの「→」印が□囲みの中に「建」という赤い小さな文字を指している。

私たちはこの字を旧建設省を指す文字と読み解き、ここから上流は国、下流は大阪市の管轄と理解した。私たちは一級河川、大和川の起点にたどり着いていたのだと思った。この理解の仕方に一応納得して、私たちの大和川探査歩きはフィナーレと思い、握手を交わし喜びを味わった。午後三時だった。この日は休憩を含めて六時間の歩きで河口に到着した。

しかし、これは早とちりだったかもしれない。あのプレートは、あくまで防潮施設の管轄を明示していだだけだったかもしれないとの疑念がわいた。帰宅して国交省の「大和川水系流域図」を見ると、紺色で示された大和川の河口は、「南港南一丁目」の西端、つまり「かもめ大橋」のある海岸線の端となっている。そして、川を挟んで南東側の新日鉄工場の端とを結ぶ線が河口とされていた。

私たちは、あと数百メートル、この倉庫が並ぶ通りを突き進み、海岸線に出て見ればよかったのだ。地図上の河口を直接見れたのだ。この点については、機会を見て再訪して確認することにしたが、プレート位置が「起点」であることと地図上の河口との隔たりに疑問を感じて大和川河川事務所に照会してみたところ、後日、回答が得られた。

大和川河川事務所の見解では、プレート位置は防潮堤管理の境界線であり、距離標の起点、そして川水の流れの管轄区域は、かもめ大橋南端から対岸の八幡製鉄を結ぶ線であるとのことだった。

そうなると、堤防上に要所要所に建てられた「大和川距離標」の表示には、それぞれプラス数百メートル(670メートル)を加えなければならないのではないか、と思う。おそらく、河口と起点にこのような隔たりが生じたのは、土砂の堆積と南港の埋め立てによって大阪湾口が沖に伸びたせいではないかと思われる。

分水界から発端する源流地は、山が動かない限り、まず変化することはないが、河口は人工的にも伸縮できる余地があるということだろう。その意味でも川は生きているのだ。 

後日、河口端を確認するため、起点のプレートがある場所から倉庫の並び建つ街路を歩いて、かもめ大橋の畔に出た。大和川の最下流は、大阪市環境局南港工場の敷地と接していた。休日で操業していないのを幸いに、ちょっと失礼して敷地内に入る。接岸部分から海面を覗くと、大きなボラが泳いでいた。大阪湾の海原が眼下から広がっていた。

斜め対岸の新日鉄工場の敷地端とここを結ぶラインが、国交省が認定している流水の管理区域、つまり、大和川の終点であった。対岸は明るい日差しのなかで、まぶしく光っていた。

この河口端を一望するのに都合がいいと思い、かもめ大橋を渡り、南側に突き出た防波堤に行ってみることにした。釣り人がたくさんいる防波堤に立つと、南港工場に建つ赤と白に塗られた巨大な煙突が見える。河口付近に小さな船。新日鉄方面はややかすんでいる。大きな眺めである。都祁高原に湧いた水流が、ここまでたどりついていると考えると、摩訶不思議な気がした。         

のんびり竿を垂れている年輩の男性の訊くと、チヌを狙っていると笑う。チヌって黒鯛のことである。チヌの海とは大阪湾の枕詞である。さすが大阪湾河口の釣り人であると感心した。

「いや,釣れても釣れなくてもいいんや。こうやっていいお天気なんで、一日遊ばせてもらったら、十分なんです」

 どこか達観した心境である。悠々と迫らぬ人柄のようである。足元で四角い箱が低い音を出し続けている。なにかと尋ねたら、エサのエビを活かしておくために酸素を送る装置なのである。こんな装置まで使って釣りをするのかと、大いに感心する。

 「チヌはだめでも,コアジが十匹でも釣れたら、二枚におろして、今夜の焼酎の肴になるんや」
 「そりゃ、いいですね。自分で釣ったものを自分でおろして、晩酌の友にするなんて、いいですね」

 傍の釣果を入れる袋に生きているアジが一匹だけ泳いでいる。素人目にも、十匹はおそらくダメだろうという気がしたが、気分がいい男性に言うまでもないことだ。

青い空と青い海原。大和川歩きのフィナーレにふさはしい好天気。なんとも気持ちがやすらぐひとときだった。

水系が生まれて、長い水路を経て、海に注ぐありようを確かめられた。思うことは一つである。

 いつまでも、豊かで、きれいな水が絶えることが
ありませんように願わずにおられない。


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