あ と が き 日本の夜明けを刻み、古代の文化が漂う奈良と大阪を流れる一級河川、大和川を川筋に沿って歩いてみた。つねに水面を眺め、草むらや堤防を歩くのは、とても気が晴れることだった。 植林帯のなかで水が湧出している都祁高原。その山中から大阪湾の河口まで、ざっと七十七キロメートルを計四日間、四回に分けて歩き通せた。大和国中の広い空の下で田畑や集落の傍を流れて、やがて大河となって大阪南港に注ぎ込むのを目の当たりにしたのは感動的だった。 幸いなことに一度も雨に遭わなかった。歩くにはとても都合がいい気象条件だが、この降雨量が少ないというのが、大和川の水質汚染の一因であると国交省大和川河川事務所の係官に聴いた。確かに雨がよく降り、水の流れが豊かであると、水の汚れは希釈されるわけだ。 この流域の年間降雨量は、約1300mmであって、全国平均の1700mmよりも400mmも少ない。全国的にみても乾いた地域なのである。この結果、奈良では水道水や灌漑用水を大和川水系だけでなく、淀川と紀の川水系に頼っている現状があるそうだ。 ちなみに水質ワースト河川で常連の綾瀬川(埼玉・東京)は1500mm、鶴見川(神奈川)は1400−1600mmである。ワースト河川になるのは年間降雨量が少ない環境にあることも一因のようである。そうした条件がよくない大和川流域に約二百十五万人もが暮らしている。この人口密集ぶりが生活排水や産業排水をもたらしている。少ない雨、多い人口と重なる悪条件。とは言っても、水質汚染の汚名を、それらのせいにして済まされる問題ではない。 うれしい話があった。清流好みのアユはBOD3ミリグラム(1リットル当たり)以下でないと産卵しない。産卵も生育が困難なはずの大和川にアユがよみがえっていたという。平成十八年二月、水質の研究者によって、なんと天然アユが遡上していることが報告された。国でも、この朗報を確認するため同じ年の初夏、水系の三箇所(遠里小橋、柏原堰堤、石川橋)で調査したところ、柏原堰堤で遡上するアユを見つけて追認できた。 その後、平成十九年十一月には遠里小橋から流下する7ミリ大の仔アユを確認、さらに河内橋から大正橋の区間で産卵場所の調査をしたところ、川床の砂礫に付着していてアユの卵を確認した。 これらの事実は、確実に大和川がきれいになってきていることを示している。水系のすべてが、国の水質環境基準である5ミリグラム以下になることを目標にしているが、一部の場所では、すでに達成しているか、あるいは期待値に近づきつつあるようだ。 平成九年に河川法が改正された。いわゆる「97年改正河川法」というそうだが、それまでの法の目的である治水と利水の二大テーマに追加されるかたちで、環境の整備と保全という目的が加えられた。従来のダム造成や護岸工事に振り向けすぎたエネルギーに待ったをかけて、河川敷の有効利用や生態系の保護までにらんだ河川行政を打ち出している。クリーンな地球環境を守るというグローバルな時代の要請に河川レベルも応えなければならない。 とりわけ治水については、永年にわたる先人による不断の努力で、非常に行き届いている現状にあると思われる。大和川の川筋を追って歩いてみても、洪水や高潮に危ういというような状況を見ることがなかった。こうした懸案は、都市部の中小河川に移行しているようだ。 百年、二百年に一度起こるかどうかの大災害に関してはわからないとしか言いようがないけれど、この二つのテーマは相当コントロールできる成熟したレベルにあるのではないか。だとすれば、もっと河川施策の舞台を幅を広げて河川がもたらす果実を暮らしに生かすといいのではないか。 このことを一言で言えば、「総ての生き物に優しい川」になることが求められている。大和川は次世代の人間はじめ鳥獣草木にも絶好の心地よい環境になることを目ざさなければならない。最終的には飲める水に再生することであろうと思った。 主な参考文献等 {大和川水紀行」 藤岡 正 遊絲社 「大和川」 藤岡謙二郎 学生社 「大和川夜話」 長井勝正 大阪春秋社 「北から西への改流三〇〇年 甚兵衛と大和川」 中九兵衛 大阪書籍 「大阪の歴史」 井上薫 創元社 「大和川水系流域図 大和川」 国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所 「大和川河川事務所」ホームページ http://www.yamato.kkr.mlit.go.jp/YKNET/index.html 「国土地理院、地図閲覧サービス」ホームページ http://watchizu.gsi.go.jp/ |
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