11:05 姫路行き新快速が出発した。先にこの旅を経験した人によれば、この駅に食事ができる売店があるそうだが、ホームからは見えていない。待ち時間に余裕を作れば探せるだろう。四両編制だが、空席が目立つ客席のまま、向うに湖西線の軌道を見ながら、ゆっくりと走りだす。                                     

長い目のトンネルと抜けると、余呉。琵琶湖の北端。木の本や萬月駅も寂れた印象。これで冬の季節を想像すると、滋賀といっても、もう北陸か東北の気配であろうな。河毛の駅の看板に「日本の夕日百選 湖北町水鳥公園」とあり、琵琶湖の空と水が茜色の染まる夕日の看板が立っていた。この夕日百選という看板は、各地で見る。しかし、夕日だけを見に来る観光客がきっと少ないだろう。なにか本命の観光資源があって、その上で見事な夕日というオマケがあるという位置づけかな。                

湖北の集散地の中心、長浜に着く。湖面が再び近くになる。歴史的にも由緒に富む町である。駅そばに「長浜バイオ大学」の建物。こういう特別な専門分野一つの単科大学が、なぜ長浜にあるのか、ぜんぜん情報を持たない。この地に開校してメリットが何かあるのだろう。乗降客がさすがに増えた。ジャージー上下、長い茶髪、鼻にピアスをした青年が横に座った。連れの男への口に利き方から学生のようだ。人は見かけで90%分かるという話が本当としたら、この青年は最低の印象だ。目と鼻の先に、目を合わせたくない男がいるのは、居心地のいいものでない。こんな風体の学生を教えるのも大変だな。  
                              相変わらずお天気はいいのだが、伊吹山の姿はすっきりしない。時期遅れの春がすみというところかな。車窓の風景が単調で眠くなってくる。                  

11:52 米原駅を出発して車内で駅弁を開く。ほかの席でも広げている。昼食時だ。到着ホームにキオスクがあり、裏に回ると、お弁当屋さん。井筒屋の駅弁である。明治22年、東海道線が開通したときに弁当屋を開業したという、この道の老舗である。「近江のおはなし」「近江牛大入飯」と缶ビールを調達した。前者は1100円、後者は1000円。                             

 
                                                                                                            
駅弁を食べるのは、いつ以来かなと思案する。                                  
日本アルプス登山の帰りに静岡駅で買ったような、赴任先の広島帰りに岡山駅で買ったような。そんな曖昧な記憶しか思い出せない。「近江のおはなし」は、唐草模様の和紙を風呂敷きのようにして包んだ、小粋な装い。郷土の牛、合鴨、鳥、卵なとの幕の内弁当である。                                        


「近江牛大入飯」というのは、薄味のカレー味がついた飯の上にたっぷりの煮付けた牛肉を並べてものである。具だくさんのところは、吉野家の牛丼と同じである。 カレー味のご飯が冷たくて、それほど美味しいものでなかったが、おおっぴらのビールをあおり、車窓を眺めていると、かつての汽車の旅情を偲べる。電車は、米原で8分待ち、前方の四両増結している。 

12:23  草津駅に到着した。米原以西の東海道本線にはなじみのある駅名が続く。彦根、近江八幡、野洲、守山駅などは知人がいたり、かつて仕事場の延長で来たりした思い出がある。                             
大昔だが、読書感想文コンクールで総理大臣賞を取った女子高校生の自宅を守山の湖畔に訪れ、取材したことがあった。大喜びの家族の勧めで夕飯をいっしょにすき焼きをご馳走になって、夜遅く帰社したら、えらく怒られた。駆け出しのころの失敗譚であった。 この女子高校生については十数年後にひょんなことから消息を耳にした。なんでも伝えてくれた同輩の話では、記者という仕事がめっぽうカッコよく見えたので、将来、記者になろうと誓い、京都大に進学、卒業時には新聞社の就職試験と受けたが失敗、今は大阪市の幹部職員候補ということであった。同輩は仕事上のことで彼女と出会い、そんな思い出話を聴いたと言っていた。他人に影響を少なからず与えた最初の経験かもしれない。                                           
                                  
閑話休題。電車は混んできた。かつて登ったことがある三上山がずんぐりした山容で突っ立っている。低いが目立つ山である。龍神がいる伝承を持つ山として知られている。              
草津は湖南での大阪への通勤圏、湖西では堅田あたりまで大阪のベッドタウン化している。この駅の乗り降りは湖南アルプス登山の起点なので、何度が来ている。駅前の居酒屋で反省会をやった覚えもある。すっかり都市化した駅前である。ここで草津線に乗り換えだ。跨線橋をko越えて2番線乗り場に急ぐ。4分間しか待ち時間がない。   
               
                                                 

13:09
 柘植行き出発。貴生川駅は信楽焼きの里、信楽高原鉄道への乗り換え線でもある。 この単線で正面衝突という信じられない鉄道事故が起きたのは20年前のことである。当時、広島にいて、アジア大会向けに建設していて高架道路の高架が崩壊、転落して、信号待ちしていた車列に落下、大勢のドライバーが死傷したことがった。その取材見舞いをしてくれた大津の同輩が、こんどはこの信楽鉄道事故の発生にキリキリ舞いする破目になったことを思い出す。常在戦場の仕事であった。                

前に座った学生らしい女の子。色の白さに感心するが、ポカンと口を開けて呆然とした表情をしきりに見せる。何か考えごとをしているようだ。それを見ながら懐旧にふける。なにしろ、この沿線は車窓からは目立つものは何もなく、低い山の緑を眺めるだけ。甲南駅、甲賀駅には「忍者の里」をうたう看板が建っていた。そうだ。このあたりから伊賀上野あたりは、忍者が売りである。観光資源になっている。しかし、猿飛佐助、霧隠才蔵なんて講談、マンガの主人公で知られるが、実在の人物ではない。実在の人物が特定できないということは、こういう考えができる余地がある。                     
つまり、疑い深いタチなので、この手の隠密職業集団が、ほんとうに実在したのか、実用的な効用があったのか、信じられない。だいたいスパイ、隠密がいることが知られていては、隠密の本来業務が果たせないのではないか。特殊な能力、ワザを磨いている者が、周辺に防御網を張り巡らしているから攻略はムリですよ、といった威嚇・宣伝効果を狙っていたのではないかな。彼らが生み出したとされる手裏剣や菱型の釘のような兵器は、いかにもチャチである。あんなものや、屋根裏に忍ぶ術で、敵と対峙したとしたら、いささか幼稚にすぎないか。                                        
13:12 関西本線柘植駅から加茂駅までの52分間は一両のワンマンカーである。濃いブルーの可愛い車両。座席は埋まっているが、立 っている客はいない。運転手の背後に「急用でない



限り、運転手に話しかけないでください」という注意張り紙がある。おサルに餌をやらないでくださいという張り紙に似ている。こういう注意があることは、田舎の電車では乗客と運転手が顔なじみで、あれこれ雑談しつつ運転することもあることを意味している。牧歌的風景だが、やむえない注意だろう。 途中から乗ってきたおばさんが、なんとか駅まで190円だなと運転手に話しかけている。バス車内と同じである。電車は渓谷沿いを走る。五月川の梅林渓谷である。月ガ瀬口駅では、造花が飾ってある。春先は梅林で知られているところだ。ワンマンカー52分間乗車だが、この電車にはトイレがない。駅弁とともに缶ビールを飲んだので、催してきたので、たどりつくまで心配した。                                               
                                              
14:16 さて、最終コースだ。加茂を出た。難波行き普通電車。ここらあたりからも人の往来は大阪圏に入っている。乗客も増えてきた。奈良駅では小学生の遠足グループがたくさん乗り込んできた。男女の先生が引率している。男性教師が子どもたちに教えている。お年寄りが来たら、席を譲りなさい。優先座席に座ったらダメ。男の子が一人、優先座席に座りかけたが、女の子に「今ダメゆうたやろ」と叱られている。5年生くらいか。

この年頃は女子の方が相対的にしっかりしている。オバアサンが乗り込んできたら、みんな席を譲ろうと必死で客引き?している。いつまでもつかな、かわいいマナーは。                                                        空いている優先座席四席は、乗ってきた中国人家族?四人に占められてしまった。早口に聴こえる言葉で、箱ごと買ってきたイチゴをてんでに手を突っ込んで食べて、美味しいと言っているようだ。彼らには珍しい食べ物なのかな。         


爺さんが来た。さっそく男の子が立ち上がって、席を譲った。爺さんは大変喜んで、しかし遠足で疲れているだろうから、座っていなさいと立ったままでいる。よくできた爺さんである。同じく立っている男性教師に、どこまで行ったのか尋ねている。奈良公園だと応えている。鹿、大仏、春日大社の言葉が断片的に聞こえた。

法隆寺からも大勢が乗った。この季節、奈良は観光シーズンなんだ。車窓から大和川が見下ろせた。大和川には珍しい潜水橋が見えた。以前、大和川沿い歩きのとき知った王寺駅近くの潜水橋である。奈良・大阪府県境を越えた。大和川がいちばん険しい河川状況になる渓谷と並行して電車は走る。

15:12 天王寺駅着。大阪に入ってから、どんどん増えてきた乗客ととも

に車内から吐き出されるようにして、ホームに降りた。新今宮駅8:25分で旅を始めたから、6時間47分の風変わりな旅は終わった。わずか半日の旅だが、なれない趣向なので、けっこう気疲れもあった。なにはともあれ、ほっと安堵した気分である。

 旅プランを作ってくれた知人の調べでは、この総乗車距離は337.5キロメートル、東京から三河安城駅と東苅谷駅(愛知県)との中間にあたるそうだ。金額ベースでは5、460円。

 中央改札口を120円初乗り切符を挿入して無事、改札口を出た。一筆書きの旅が完成した一瞬である。

 久しぶりに長く電車に乗った感想。

JRのダイヤは正確無比であった。こんな秒単位の正確さは、ちょっと気味がわるいほどだな。知り合いのJR運転手は、尼崎の大事故が発生する以前は、ほとんど病的なまで運行管理は厳格だったという。こうした徹底的な管理規則の遵守という国民性は、諸刃の刃である。人間を機械同様にコントロールしようとしている。乗客もそれを期待して1分の遅れも許さない。5分も遅れると、騒ぎたてるからな。

いくつかの電車の乗り換えたが、どの電車もきれい。駅トイレもきれい。いちばん汚いのは玄関口の大阪駅。利用者が多いせいかな。電車の行き先、乗りかえ案内は、親切、行き届いていた。人によっては、過剰な対応とみるか、煩わしく思うほどだろう。これも過剰サービスといえるかもしれない。要するに、乗客を一人前の社会人と見ていないし、一方、一人前の社会人になりきれていない乗客もまた多いのだろう。

 車窓からの風景は、

 わが国土は山が多く、平坦部は狭い。つくづくそう思う。狭い場所に水田を作り、野菜を植えているから、背景を抜きにすれば、どこもよく似た光景である。家並みは切れ切れながら、山の中、湖畔、どこまでも続き、人の営みがあることを教えてくれる。

 琵琶湖は遠望であるけれど、近畿の水がめの貫禄十分な大きさであった。湖面は千年変わらぬ泰然自若である。

 どの駅舎ちかくになると、駐車場があり、車がいっぱい。駅までマイカーが当たり前になり、バス路線は衰退する一方なのだ。沿線から目立つのは学校の校舎、グラウンド、そして意外にも竹林が多い。

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