二日目

 ビュッフェ朝食。シークワサーのジュースが美味しかった。この沖縄産のレモンみたいな柑橘はほどよい酸味とさわやか味があって美味しい。曇り空、朝9時半、レンタカーで昨日走った名護市街地に戻る。ガイドブックにネオオキナワパークというのがあったので、そこに行くことにする。南国の鳥獣と植物が見られるとある。                          


 58号線を走りだすと、すぐに辺戸岬58キロの道路標識。辺戸は沖縄本島北端である。その先は海を隔てて鹿児島県。与論島という知識があったので、すぐに行き先変更、辺戸岬に向かうことに決めた。道路の込みようもあるが、58キロなら一時間半もあれば到着できるだろう。名護市内を抜けて、東シナ海の海岸線を走ることになった。あいにくの雲がちの空模様なので、水の色に鮮やかさが欠けるものの、キレイな海が広がる。緑色の南国らしい海の色もなくはない。                                             

 気温は20度くらいか、窓を少し開けて風を取り込んでも、ぜんぜん寒くない。さすが沖縄の二月である。さきほど道路標識に「八重岳454m」を見た。この山と今帰仁城跡あたりは桜が咲く名所があると聴いていたが、ちょっと進路から外れるのが残念、とくに今回は登山を想定していないけれど、八重岳は心残りだった。                           

車両の通行量がまばらになった。津波小学校という建物が海沿いにあった。いかにも津波が襲ってもおかしくないような海岸にあるが、「ツハ」と読むらしい。沖縄の人名、地名は読み方がむずかしい。うっかり声の出すと間違えて恥をかく。昨日も三差路で恩納村方向を地元の人に尋ねた際、「オンナムラ」と言ったらニヤリとされた。「ウンナソン」が正解らしい。                                   

 大宜味村の道の駅で一休み。トイレを借りると、洗面台の鏡の脇に「足を洗うな」 の張り紙。こんなところで足を洗う連中が少なくないらしい。店のオバチャンに聞いてみると、了解できた。海岸にサファーがたくさん遊びにくるが、砂だらけの足をここで洗うけしからんのが結構居るという。水道菅が詰まって困るという。地元の人の怒りはもっともだ。                                                            

 そういう話を聴いて外にでたら、マイクロバスからスエットスーツに身体をつつんだサファーの男女が降りてきた。なるほど、キレイな海でシュノーケルを使い潜ったり、サーフボードを楽しむ若いもんが大勢いるようだ。                                               
ここの道の駅は野菜や果物を売っている。タンカン、夏ミカン、パイナップル、島ニンジン、赤土ダイコンなどだ盛りたくさんだ。まだ青い房がぶら下がったバナナも売っている。食べられるまでに、だいぶ時間がかかりそうな青バナナである。タンカンは見かけはよくない武骨なミカン。皮もあちこち黒ずんで汚い。都会ではおそらく敬遠されるかもしれないが、これが甘くてジューシーで美味しい。万事、見かけで決め付けてはいけない見本みたいなもんだ。                                         
 駐車場に面白い石碑。大宜味村の老人会は日本一の長寿村を目指すという宣言を刻んだ碑である。沖縄には長命者が多いというが、一村挙げて長寿を規しているというのは珍しいのではないか。目標達成んために住み良い村づくり、健康な食事などに気を使おうという趣旨のようだ。あとで沖縄の長命ぶりをネットで調べたら、大宜味村は世界一クラスの最長寿村という。人口3500人のうち65歳以上が3分の1以上、100歳以上が11人という。なるほど日本一宣言は事実を反映してるのだ。村人の誇りなのだ。豊富な緑黄色野菜、果物、豚肉、海草の摂取、少ない塩分摂取、それに泡盛のようなアルコールの程よい飲酒、温かい気候なども長命に寄与しているらしい。なんともオメデタイ村である。                                         
58号線は完全に海辺を走る。右手が山裾であるから、人里もない。前方の大きな岬を回ると、、またその先に岬といった感じ。たまに迫ってくる車は「わ」ナンバー。おそらくこちらと同じような観光客であろう。「めんそーれ、ヤンバルクイナの里」に入る。国頭村である。特別天然記念物の野鳥、ヤンバルクイナが見つかって、おおきな話題になったのは、いつのころだったか、思い出せないが、新種の鳥が発見されるのは、衝撃的な事件だった。日本の国土にまだ未知の生物がいたのだから。                                                                  
                               

というわけで道の駅「ゆいゆいの里、国頭村」も、近辺の店屋もヤンバルクイナあやかりである。遠くない場所に保護センターもあるらしい。沖縄本島の北部は沖縄戦の激戦地からまぬかれたのが、生存によかったのかも知れない。しかし、ようやく生き延びたのに、いまは米軍のジャングルを想定した演習地になっているのが、皮肉である。        

道の駅の回りの植え込みにはコスモスとヒマワリが同時に咲いている。それに青色が濃いアサガオも。、さすが沖縄、二月と思えぬ南国である。                                                          

 さて、辺戸岬は、ここから25分で着いた。人通りも車も通らない海と山の間を走って58号線の幹線からちょっと外れたら、岬公園の入口。軒を並べている店舗も1軒だけ開店していた。海に面した海岸線は水面から高く、絶壁になっている。風はさほど強くないが、それでも断崖の下に押し寄せる波が白く砕けている。いかにも辺地の最先端の岬の光景である。                                                                  



 いろいろな石碑が観光周遊路に沿って建っている。いつも強風のせいか植生は皆丈が低く、地を這って居る。車の観光客が、この植生を掘り起こして行くらしく、「球根を掘って取るな」」という札が立つ。観光客という連中のなかには、とんでもないヤツがいるのだ。                        
ここで教えられたことだが、ここ辺戸岬は米軍政下でも、その後の本土返還後も祖国復帰闘争のシンボルとされていたという。たしかによく晴れた日には、遥か東方に本土・鹿児島県・与論島が望見される本土ともっとも近接の地。であるから軍政下でもここで復帰を願う県民の集会が開かれ、悲願達成へシュプレヒコールが繰り返されたらしい。いわば望郷の最前線だったようだ。                         
                               
祖国復帰闘争の石碑の文面によれば、念願かなって本土返還されたとはいえ、日米安保条約のもとで日本の独立は形式に似すぎず、沖縄は米軍極東戦略の基地となっているとある。まったく、こうした認識はいまも変わっていない。沖縄の悲願はまだ叶えられていないと言える。与論島との友情の火を絶やさないという碑石はハトの形をしている。沖縄の置かれた状況を訴える岬であった。                          

 あちことでアメリカ人軍人は軍属らしい家族を見かけたが、ここでも私服のアメリカ人男性に寄り添う日本人女性のアベックが二組いた。こういうパターンのアベックは、戦後の混乱期の街でよく見かけたことがある。いまは当然な愛情に満ちた二人であるに違いなかろうが、どうも複雑な気分になる。                        
      
入り江の向うの山の腹に巨大なヤンバルクイナの像が見える。遠いのではっきりしないんだが、公園の説明版によれば、あのヤンバルクイナ像自体が展望台になっているという。生息地、国頭村のこれまたシンボルなんだだろう。北端地を踏んだことに満足して、車の戻り、当初の予定だった名護の植物園を目指す。                              

ネオパークオキナワとう名の動植物園はユニークだった。ガイドブックに添付されているスタンプを渡すと、入園料600円はタダだ。立派な建物の外観なのに、丸顔の元気がない女性が玄関に一人だけいて、どうも活気に乏しい。営業中かどうかも外見からは分からない。順路の沿って金網を入ると、池と林が一つの鳥かごになっていて、驚くほどたくさんの種々の鳥が遊んでいる。人を見たら、寄ってくるのもいる。餌をくれると思っている。鳥の糞があちこちに落ちて、足元は気をつけなければならない。
             
 白サギ、ペリカンや名前を知らない外国産の鳥の楽園である。樹幹の上高く、ネットで覆われている。トンネルを抜けて、次の空間に入っても黒や黄色や赤が混じった異国の鳥がいっぱいいる。しかも、茂っている樹木もほとんどアフリカや南米の産。奇妙な形をして木の上や枝や、あるいは地面を鳥たちは歩いている。人間と鳥は大きなゲージのなかで共存しているわけだが、お客さんはわれわれだけである。前の駐車場に止まったバスからぞろぞろ降りていた団体観光客らは、こちらに来ないようだ。連中は昼食を取りに寄ったらしい。こうした自然観察というような地味な趣向は、いまどき人気がないのかも知れない。                                                                            


 深く考えずに訪れたが、ここはとても広い。順路の途中でも残り880メートルなんて案内板がある。巨大ナマズがいる池、ウサギににた豪州のワラビーがたくさん孔雀と共生していたり、大きいのや小さいのやいっぱい犬がいるコーナーやイノシシの親戚みたいな動物が放牧されいる囲いや、巨大魚ピラルクが餌を頬張る池や軽便鉄道のような子ども用汽車が通る鉄道もある。 なかなか工夫を凝らしていて、これらの園地と動植物を整備するには相当な投資があったと想像されるが、前に述べたように客がいない。犬のコーナーで幼児と遊ぶ若い母親が居たのみである。                                      



 鳥好きなので、こちらは退屈しなかったが、あんまり広いテーマパークので疲れた。一回りして玄関ホールについたらほっとした。外に出たら。車から降りてきた若いアメリカ人男女がソフトクリームを買うべく行列していた。彼らはおそらく基地関係の軍人で非番なんだろう。クリームを舐めながら、奇妙な雰囲気の公園に入っていった。

        
             
 今夜の宿泊地に向かうため、58号線を南下した。途中の名護市喜瀬に海中展望台がある。マリオットホテルからも遠くないところだ。大きなリゾートホテル,万国津梁館のの付属施設のようだが、200メートルくらい沖合いの海中まで橋でつなぎ、そこから約15メートル下へ螺旋階段を下りて、海の中をのぞく。船の丸窓のようなところから、澄んだ海を見ると、タイやフグや鰯やアジ、蛇のような長い魚などが目の前を悠然と泳いでいる。ここだけを切り取れば、美ら海水族館と変わらない光景である。こうした施設は南紀・白浜にもあった。

 海に張り出したは展望台のほかに船底がガラスになっているボートもあった。ホテルの前はおそらく他所から運んできたと思われる白砂の浜。季節はずれなので海水客はいないが、誰もいない白浜は美しく、いい眺めだった。赤いレンガつくりの大きな津梁館ホテルにも度肝を抜かされる。沖縄にはほんと立派なホテルが多いようだ。                       
 58号線を南下、今夜のホテルを探す。 海沿いにいわゆるシーサイドのホテルはがいくつかならんでいる。そのなかでも特別大きいホテルがリザンだった。チェックインして部屋に行くと、意外なことにオーシャン・ビューではなかった。あとで高校生や専門学校生の修学旅行組といっしょになったので、そちらに部屋を取られたにちがいない、と考えて納得することにした。                                                      
 ホテル案内によると、和洋のほか琉球料理、中華料理の店があることになっているが、いくつかの店は閉じていた。そうだろう。学生客だらけでは、商売にならないかもしれない。中華をベースに琉球の味をアレンジしたというレストランで夕食。                                          

 オキナワ産ビール、オリオンの生ビールを飲んだ。このビールはやや酸味があるが、さっぱりした味で美味しい。粘りのある島豆腐、ブタ肉入りの春巻、ブタ肉の角煮?、名前を知らない野菜をクレープふうに包み、濃い味のミソをつけて食べる、あれはなんという名前の一品か、一つずつ具が異なるシュウマイ、チャーハンにスープがそえられ、これをチャーハンにかけて食べる汁かけご飯。これは思ったよりも美味しかった。あれこれたくさん食べたが、なにがメインなのか、判らずじまい。 泡盛は守礼というブランド。40度とあったが、オンザロックで、すっきりうまかった。                                                          

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