源流から河口を訪ねて
(大和川と石川が合流する地点(大阪府柏原市内) |
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は じ め に
大和川は、その名前のとおり、水系は奈良県内ではじまる。奈良盆地を囲む周辺の山々から流れ出すたくさんの小さな川の水流を集めて、一本の大きな川になり、府県境の生駒金剛和泉国定公園の山地の狭間をを抜けて大阪平野に入り、やがて大阪湾に注いでいく。 古代、飛鳥、万葉の昔からこの国の歴史の夜明けを眺め、映してきた川。 大和川は、こんなイメージで知られている。全国の数ある川のなかでも特異な顔を持つているといえる。 そこで、ある日、国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所(大阪府藤井寺市)を訪れて尋ねてみた。事務所は大和川堤防右岸わきにある仮庁舎.以下は応対してくれた調査課の二人の係官との問答の模様―――。 「大和川の水流になる最初の一滴はどこから生まれているのですか」
これは容易なことでない。うっかりしていた。川をどこまでも遡っていけば、唯一の水源に到達すると考えたのは、単純すぎた。大きな木ほどたくさんの毛根を広げているように、あるいは動脈が無数の毛細血管をまとめて体全体に伸張しているように,形のあるものは枝葉というか、裾野があってこそ成り立っているのだと気づかされる。川も同じである。 「そうだとすれば、大和川の始まりは特定できない?」
「どうして決めたのですか。どこですか、大和川の起点は」
「だとすると、大和川の源流地を国は把握していないということですか」
係官は畳半分くらいもある国交省独自の大きな「大和川水系流域図」を広げて説明してくれる。流域というのは、その川に集まってくる水源の及ぶ範囲という意味である。つまり、降った雨水や溶けた雪水が川に流入する範囲である。大和川と目と鼻の距離ににあっても台地や丘に阻まれて雨水が流入しなければ、流域ではないそうだ。
この上流域は、万葉集にも詠まれた初(泊)瀬川から初瀬ダムを経て、北進して都祁高原に向かう。その途中、水系はさらに桜井市小夫地先のV字型分岐で二つの流れに分かれる。一つの流れは北進して天理市福住町の国道25号近くで消えている。もう一方は東進して旧都祁村(奈良市藺生町)の丘陵地まで伸びてゆき、やがてほつれた毛糸の先のようになって消えている。 地図上から消える二本の水系。その消えたあたりを遡行すれば、最深部の源流地に行けるのではないか。大阪湾の河口からもっとも遠いところにある水源である。
「その源流地がありそうなところを調べられましたか」
(上図は国土交通省大和川河川事務所開示のホームページから引用)
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